ふっくらときれいに茹で上がり、黒々とした黒豆が、酒粕に包まれている。この黒豆の粕漬けを初めて食べたとき、審査員の山本謙治は「食べたことのない味わいだ!」と感動したことを、昨日のことのように覚えている。一般家庭において黒豆といえば、正月向けに甘い煮豆にしたものを食べることがほとんどだろう。
ふっくらときれいに茹で上がり、黒々とした黒豆が、酒粕に包まれている。この黒豆の粕漬けを初めて食べたとき、審査員の山本謙治は「食べたことのない味わいだ!」と感動したことを、昨日のことのように覚えている。一般家庭において黒豆といえば、正月向けに甘い煮豆にしたものを食べることがほとんどだろう。
それが、この黒豆の粕漬けは、程よく塩が効き、極上の酒粕の香りがプンと立ち、ネットリとしたうま味の濃いもので、お茶うけにもよいだろうし、ご飯のおかずにもなりそう。個人的には「これ一粒で白飯が3口分くらい進むよ!」と、夢中になってしまったのである。
福知山市の北部に位置する大江町は、緑あふれる豊かな自然が拡がる地。地域のシンボル的存在とも言える大江山は、福知山市はもちろん、舞鶴市に宮津市、与謝野町にもまたがっている。そしてこの大江山は、有名な酒呑童子という鬼伝説が息づく、民俗学的に重要な土地でもある。
この大江山を超えるための街道にあるのが毛原地区だ。毛原峠からなだらかに下る道沿いに、文化庁の棚田百選にも選ばれた棚田がしっとりと横たわる。
中山間地である毛原地区は、他の中山間地と同様に高齢化と過疎化を迎える地域でもあるのだが、この毛原は一方で、都会からのIターンや、この地の景観に魅せられて開業する店舗などを呼び込む地でもある。その理由は、少しの間であっても、この地を訪れて歩いてみればなんとなくわかるはずだ。何があるというわけではないのに、本当に美しい、日本らしい景観がここにあるのだ。
その毛原地区のもう一つの魅力が、地域住民が身を寄せ合って仲良く生きていること。黒豆の粕漬けの美味しさに痺れて産地に足を運んだとき、その加工場にもなっている毛原公会堂を訪れた。ふっくら茹だった黒豆を吟醸酒の酒粕につけ込むところを見せていただいたが、女性陣が互いをいたわり合いながら屈託無く楽しそうに作業をしているのが印象に残った。
「毛原はねえ、とてもいいところなんですよ。だから、この地で長くみんなで作業できればと思っています。」と水口裕子さんがいう。
ところでこの商品、黒豆の粕漬け「復刻版」とついているのは、こういうことだ。かつて30年ほど前、黒豆の粕漬けは村の特産品ともいえる珍味として造られていたものだったそうだ。
「最近になって思いついたというものではないんですね」と聞くと、最年長の高橋すみゑさんが首を振る。
「黒豆の粕漬けは45年ほど前に、毛原の女性グループが商品として造ったものだったんです。黒豆は丹波の地域で造られたもので、ここ毛原でも栽培されていました。それをふっくらと甘煮にしたものを、地元の酒蔵から分けてもらった酒粕を調味して、そこに一ヶ月ほど漬け込むのです。」
40年前の黒豆の粕漬けは大人気を博し、様々な賞を受賞し販売されていたそうなのだが、時と共にグループの高齢化が進み、30年ほど前に生産が終了してしまった。それを「ぜひ復活させたい!」と考えたのが先述の水口さんだ。高橋さんを始め、当時の味を知る人達にはたらきかけ、試作を繰りかえした。30年前と現在とでは、さまざまなものの味が変わっているし、人の味覚も変化している。
「これだ!」というものが出来たのが「エエもん」の第1回審査が行われる2018年3月のことだった。
当初は黒豆の主原料である黒大豆は、近隣の地域のものを仕入れていた。しかし、黒大豆が不作の年に、入手に苦労したことがあった。そこで「自分達で作った方がいい」と、毛原のみんなで黒大豆の栽培をスタート。そんなに量はできないが、現在の販売数程度はなんとか維持できる。ただし、量が足りなくなったら京都産の黒大豆を購入することになるので、地元産を全面に謳うことはない。
自分達で丹精込めて育てた黒大豆をふっくらと炊き上げ、酒粕に漬け込む。書いてしまえば簡単なようだが、豆をつぶさないように扱い、程よい味わいになるように酒粕を調味するのは試行錯誤が必要だったそうだ。
酒粕は現在、舞鶴市で銘酒「池雲」を醸す池田酒造の練り粕を使っている。まさに、大江山がまたがる地域で素材が完結しているといえる。
いうまでもなく、黒大豆は高級品。その黒大豆をこんなにふんだんに盛り込んだ食品として、黒豆の粕漬け復刻版はとても安価な部類では無いかと思う。福知山市内の直売施設などで購入できるので、ぜひ手に取っていただきたいと思う。きっと、「こんな黒豆料理があるのか!」と驚き、認識を新たにされることだろう。なお、パッケージにイラストで描かれているのは、実際の毛原の住民の姿だ。これが年々増えていって、毛原の地の食文化がこれからも賑やかであり続けてくれることを祈る。